かぜに抗菌薬は必要かー当院の抗菌薬の考え方
当院が抗菌薬を慎重に使う理由
「かぜをひいたら抗菌薬を飲めば早く治る」-こう考えている方は、今でも少なくありません。ですが、現在の感染症診療では、その考え方は必ずしも正しくないとされています。
厚生労働省の「抗微生物薬適正使用の手引き 第四版 医科・外来編」では、急性気管支炎の原因微生物の90%以上はウイルスであり、残りの**5~10%**が百日咳菌、マイコプラズマ、クラミジア・ニューモニエなどとされています。つまり、咳や痰、のどの痛みがあるからといって、その多くが最初から抗菌薬の適応になるわけではありません。
当院では、抗菌薬は「かぜだから出す」「咳があるから出す」「痰が黄色いから出す」という形では使いません。感染臓器が上気道なのか下気道なのか、ウイルス感染が主体なのか、細菌感染の可能性がどこまであるのか、重症度はどうか、基礎疾患や年齢はどうか、そういった要素を重ねて判断しています。
かぜの多くはウイルス感染です
一般に「かぜ」と呼ばれているものの多くは、インフルエンザウイルス、新型コロナウイルス、RSウイルス、アデノウイルス、ヒトメタニューモウイルス、コクサッキーウイルス、エコーウイルスなど、さまざまなウイルスによって起こります。ウイルスが原因であれば、抗菌薬は原則として効きません。これは現在の感染症診療の基本です。
ここで一つ大事なのは、日常会話で混同されがちな「抗菌薬」「抗生物質」「抗生剤」という言葉です。一般にはほぼ同じ意味で使われますが、医学的には厳密には同義ではありません。感染症診療では、このような用語の定義も曖昧にせずに扱います。つまり、医療の現場では最初から「何となく効きそうだから出す」という発想ではなく、どの薬が何に効き、何には効かないのかを定義から整理して考えるところから始まっています。
「痰が黄色いから細菌感染」ではありません
一般の方が誤解しやすいところですが、厚生労働省の手引きでは、膿性痰や痰の色の変化だけでは細菌性かどうかは判断できないとされています。つまり、「黄色い痰が出たから抗菌薬が必要」とは言えません。
また、急性気道感染症の咳は2~3週間続くことも少なくなく、平均17.8日持続するとされています。したがって、咳が数日続いていること自体は、直ちに「抗菌薬が必要な異常経過」を意味しません。咳やその他の症状がどのように経過しているかが重要です。
抗菌薬が必要になるのは一部の病気です
もちろん、呼吸器症状の中には抗菌薬が必要な病気があります。たとえば、細菌性の急性咽頭炎・扁桃炎、細菌性肺炎、一定以上の細菌感染が疑われる急性副鼻腔炎、百日咳、マイコプラズマ感染症などです。厚生労働省の手引きでも、感冒や急性気管支炎では原則として抗菌薬を用いない一方で、病態に応じて例外を見極める考え方が示されています。
つまり、医師は「症状」だけで薬を決めているのではありません。どの病名を想定するか、その病名ならどの起炎菌がありうるか、その菌に抗菌薬が本当に必要かを考えて処方しています。どの程度余裕があるのかもあわせて考えます。例えば「新型コロナウイルス(SARS-CoV-2、COVID-19)の新しい株が報告されていて、陽性率がわずかに増加傾向、80歳と高齢、発熱は37℃代前半で咽頭発赤がやや目立つ、倦怠感あり」という条件下では、新型コロナウイルス感染症であった際の治療開始が遅れることで重症化の危険性が高いため、新型コロナウイルスの抗原検査を積極的に検討することになります。
診察では見える症状以外も考慮しています
感染症の診療では、のどの赤み、咳、痰、熱型だけを見て決めているわけではありません。病原体の側の要素に加えて、患者さんの年齢、基礎疾患、免疫状態、症状が出てからの日数、重症度、周囲の流行状況といった宿主要因と時間経過を同時に見ています。
同じ感染症でも、高齢の方と若い方では症状の出方は違います。ご家族内で同じウイルス感染を起こしていても、熱が強く出る方もいれば、咳だけで済む方もいます。高齢になると免疫応答のレスポンスが弱い、または遅い場合が少なくなく、新型コロナウイルスやインフルエンザウイルスなど炎症を強く起こすタイプの感染症にもかかわらず、咽頭発赤の程度が軽度である場合はしばしばあります。したがって、診察所見だけで「これは絶対に細菌」「これは絶対にウイルス」と一刀両断にできるものではなく、こういった診断限界や例外があることも考慮した上で診察を行います。そのため初診では、その時点で最も可能性の高い病態を見極めながら、どの程度ゆとりがあるのかも考慮しつつ治療を組み立てます。
感染症診療で考える部分のごく一部を、平易な言葉で説明すると上記のようになります。医学的な詳細を正しい専門用語を用いながら説明すると、一般の皆様にとってはかえってわかりづらくなります。診療の中ではわかりやすさを重視してご説明いたしますが、背景にはより深い内容があるものとお考えください。
再診で判断がかわることは診療として自然です
感染症診療では、初回診療だけで完結するとは限りません。体感的には9割前後は初回診療で完結しますが、改善が乏しければ2回目の再診時点で治療を組み立て直したり、咳だけ長引く感染後咳嗽に対して継続処方をしたりすることになります。これは初診時点で必要のないくらい幅広い治療を行うことで長期的に不利益が発生するからであり、初回診療後の経過が非常に重要ということになります。
・短期間で改善しているのか。
・横ばいなのか。
・いったん軽くなったあとに再び悪くなるのか。
・高熱が続くのか。
・息苦しさが出てきたのか。
こうした変化は、初診時には見えなかった情報を与えてくれます。ですから、最初は抗菌薬を使わずに経過を見る判断と、再診時に抗菌薬を開始する判断は矛盾しません。むしろ、初診時点の情報で妥当な判断をし、その後の経過で診断精度を上げていくというのが、感染症診療として基本です。
抗菌薬を安易に使わない最大の理由:「耐性菌」
当院が抗菌薬を慎重に使う最大の理由は、薬剤耐性菌を増やさないためです。厚生労働省も、不必要または不適切な抗菌薬使用が薬剤耐性の大きな要因であると明示しています。国別の耐性菌の検出率をみると参考になります。たとえばオランダは抗菌薬使用量が少なく、耐性菌検出も少ない国です。日本は以前に比べて抗菌薬使用量は減少していますが、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)の検出率は高く、一方でカルバペネム耐性Enterobacteralesは比較的低い状況です。
実際の臨床では、MRSA、VRSA(バンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌)、MDRP(多剤耐性緑膿菌)、ESBL産生菌など、さまざまな耐性菌を常に意識します。こうした名称は一般の方にはなじみが薄いかもしれませんが、感染症診療では基本的なお話です。呼吸器感染症でも尿路感染症でも、医師は「この感染臓器なら何の菌が多いか」「その菌ならどの耐性パターンがありうるか」をある程度頭に置いて抗菌薬を選んでいます。
たとえば肺炎であれば、日本呼吸器学会の「成人肺炎診療ガイドライン2024」では、A-DROPなどで重症度を評価したうえで、できるだけ狭域抗菌薬で治療する方向性が示されています。つまり、肺炎ですら「とりあえず広く効く薬を出す」という時代ではありません。重症度、背景、耐性菌リスクを見ながら、必要十分な治療に寄せていくのが現在の考え方です。
百日咳でも耐性を考える時代です
2025年に流行した百日咳は、耐性の報告がある典型的な例です。日本感染症学会の資料でも、マクロライド耐性株は日本でも少数ながら報告があるとされています。つまり、「通常なら効くはずの抗菌薬」が、耐性のために効かない可能性は現実にあります。このため、医師は単に「感染症だから抗菌薬を出す」のではなく、
・本当に抗菌薬が必要か
・必要なら何を狙って使うのか
・効かなかった場合に何を再考するのか
という複数段階の判断をしています。
尿路感染症でも考え方は同じです
この考え方は、かぜだけの話ではありません。膀胱炎、腎盂腎炎などの尿路感染症でも、ただ「膀胱炎だからこの薬」という形で機械的に決めているわけではありません。
日本感染症学会・日本化学療法学会の JAID/JSC 感染症治療ガイド2023 でも、尿路感染症は独立した重要領域として扱われています。実際の診療では、大腸菌が想定されるのか、腸球菌の可能性があるのか、ESBL産生菌のような耐性菌リスクがあるのかといったことを踏まえて治療方針を組み立てます。最初の抗菌薬で改善しない場合には、起炎菌の想定がずれていたのか、耐性があったのか、より深い感染なのか、膀胱結石や膀胱尿管逆流などの背景疾患があるのか、ほかの病態なのかを再評価します。
ここでも、病名だけで薬が自動的に決まるわけではありません。感染臓器、想定菌、耐性、患者背景をあわせて考えるのが実際の医療です。
「前に抗菌薬で治った」は解釈に注意が必要
患者さんの中には、「以前、かぜのときに抗菌薬を飲んだら治った。だから今回も抗菌薬が必要だ」と考える方がいます。
ただ、多くのかぜは自然に改善します。そのため、抗菌薬を飲んだあとに良くなったとしても、それが本当に抗菌薬のおかげだったとは限りません。実際には、自然経過で改善していた可能性があります。薬剤の効果を見るときに、プラセボ群(対照群、偽薬群)と比較して薬剤による治療群が効果があったかを判断します。これは医学では基本的なお話で、薬を使わなかったとしたら同じ経過だっただろうかということを常に考える必要があります。
一方で、細菌性扁桃炎など、抗菌薬が実際に有効だった経験が混じっていることもあります。だからこそ、この「効いた」「効かなかった」は単純な思い込みではなく、病態に応じて正しく解釈しなければならないのです。関連性があるかどうか、因果関係があるかどうか感染症診療では、この因果関係の見極めが非常に重要です。
一般の方の理解は十分ではありません
こうした抗菌薬への正しい理解は、一般の方にはまだ浸透していない状況です。AMR臨床リファレンスセンターの2024年調査では、「抗菌薬・抗生物質はウイルスをやっつける」が誤りだと正しく答えた人は16.0%、「抗菌薬・抗生物質はかぜに効く」が誤りだと正しく答えた人は25.9%でした。つまり、抗菌薬がウイルス性の風邪には原則効かない、という基本的な理解は、まだ社会全体では十分に広まっていません。
そのため、患者さんの感覚として「前は出してもらった」「今回は出してもらえなかった」という比較が起こりやすいのですが、実際には、診療はその都度の病態と経過に基づいて判断されています。
当院の方針
当院では、かぜ症状や咳、痰、のどの痛み、発熱があるからといって、機械的に抗菌薬を処方することはしません。厚生労働省の手引き、日本呼吸器学会のガイドライン、日本感染症学会・日本化学療法学会の感染症治療ガイドなど、現在の標準的な考え方に基づき、必要なときに必要なだけ抗菌薬を使う方針です。
最初から抗菌薬が必要と判断される場合には、もちろん使います。一方で、まだ必要性が低い段階では安易には使いません。そのかわり、経過を丁寧に見て、改善が乏しい場合や悪化する場合には再評価し、必要があれば速やかに治療方針を修正します。
これは「薬を減らしたいから」ではなく、不要な治療を避けながら、必要な治療を確実に行うためです。そして、長期的な目線で耐性菌を作らないようにすることで、患者様やそのご家族、ひいては社会全体で耐性菌感染症の不利益を被らないためです。
最後に
抗菌薬は非常に重要な薬です。だからこそ、いつでも出せばよいのではなく、適切な場面で、適切に使わなければなりません。
診療では、見えている症状だけでなく、その背後にある病態、感染部位、起炎菌、耐性の可能性、患者さんご自身の背景まで含めて判断しています。そのため、ときに「どうして抗菌薬を出してくれないのだろう」と感じることがあるかもしれません。ですが、その判断には、今この場だけではなく、その先まで見据えた医学的な理由があります。
当院では、患者さんにとって本当に必要な医療を、科学的根拠に基づいて丁寧に提供していきたいと考えています。引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。








